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★「天窓」(レターズ講師のことば「狐の飯茶碗」補稿)

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世界のステンドグラス

IIS会員向けに配布されている「ライトワーカーズ2013夏号」の
「レターズ講師のことば」というコーナーに
守護霊や遠い先祖に関連したことなどを文章にして
「狐の飯茶碗」として寄稿しました。

その中で、先祖と狐との逸話をとりあげています。
本文については、こちらの最後に掲載したいと思いますが
「天窓を閉ざして、狐との交流を断った」という記録について
ここで補足して考えてみたいと思います。

実際に、狐が出入りしていたとされる屋敷の天窓を
物理的に閉ざしたということも事実のようです。
しかし、どうしてそんなことで狐が来なくなってしまうのでしょうか?
屋敷には他にも入れそうな場所がいくらでもあるでしょうし
人の言葉を話せるような狐ならば、別の方法もとれるでしょう。


「天窓」という表現は、頭頂部のチャクラ(クラウンチャクラ/サハスラーラ)
の比喩として西洋でも東洋でも、古くからよく使われるものです。
頭頂部のチャクラは霊的な存在との交流に欠かせないと言われる
人の頭の部分にあるエネルギーセンターです。

ここでは、物理的に屋敷の天窓を閉ざしたと考えるよりは
頭頂部のチャクラを閉ざした、
つまり、「狐の神通力を利用する回路を閉ざした」ことで
狐が来なくなったと考えるのが自然でしょう。

初めは狐からもらった飯茶碗(秘術)を使って
狐の波長に同調して神通力を利用していたのでしょうが
眠っているときに無意識状態になると
そのチャネルを使って狐が干渉してくるようになり
精神的にもバランスを崩すほど、大きく影響して来るようになったのでしょう。


これは交霊やチャネリングにはつきものの話で、非常に教訓的です。
自分が相手にしている霊的存在がどんなものであるか見極め
つねに注意しなければならないのは、どれだけベテランになっても変わりません。
いわゆる低級霊であったとしても、高級霊の名前を騙り
予言や当てもの、物質的欲求を叶えることが得意な霊がたくさんいます。
そういった霊の影響を受けて、精神的にどんどんおかしくなってしまう例は
おどろくほど多いです。

たとえ魅力的な神通力を持っている霊であったとしても
平時でも話しかけてきたり、生活に干渉をしてくるようであれば
強い意志をもって関係を断たなくてはなりません。
とりあげた逸話では、最後に三代目が飯茶碗を床下深くに埋めています。
危険だと考えて、狐との交霊方法が後世に伝わらないよう
処分してしまったのでしょう。

汚れた霊(低級霊)だとわかったならば、同調しないようにする。
あちらからしつこくコンタクトを取ってくるようなら、無視しつづける。
あとは地道に時間をかけて、自分を高めつづけて
浄化向上していかなければなりませんね。




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◆ライトワーカーズ2013夏号 レターズ講師のことば
  「狐の飯茶碗」


私たちには、守護霊という存在が必ず一人おり、生涯を通して変わらずに見守っていると言われています。
日本のスピリチュアリズムの父とされる浅野和三郎氏によると、守護霊は数百年前の先祖で、男性には男性、女性には女性の守護霊がついているとされています。
そのように聞くと、数百年前の先祖にはどんな人がいたのだろうと興味が湧いてきます。

ちょうど今年の3月頃から、数百年前の先祖が守護霊をしているという話をたびたび目にするようになり、古い先祖にはどんな人がいたのだろうかと思いを巡らせるようになりました。
ただ、父方のことは父親本人のこと以外は、まったく知らず縁もなく育ちました。母方のことも遡ってみるすべもありませんので、歴史をたどる方法など初めからないものだと思っていました。

ところが、古い先祖を知る機会は、準備されていたかのようにやってきました。
4月の下旬にアイイスのイベントにあわせて、金沢の母の家ですごしたときのことです。父が使っていた大きな書架を処分したばかりだということで、何年も目に触れない場所にあった本たちが、表に出ていました。
一冊の本には、覚えがありました。開いてみると、やはり父が蛍光マーカーで線を引いています。
小学校の高学年の頃、めずらしく父が提案して、父と母と三人で出かけました。地図を調べては城の跡地という場所まで連れて行かれ、「ここに、ご先祖様がおってんぞ」とマーカーを引いた本を見せてもらいました。日差しのまぶしい季節でした。記憶を裏付けるように、小学校で書いた作文に添えられた赤ペンのコメントまでもが思い出されました。遥か遠くに忘れていたことばかりです。

本は地元の新聞社から出版された、ある家の歴史についてまとめたものでした。
8年ほど前、とある役所から封書が送られてきたことがありました。父が相続人になっていたとして、苗字も名前も聞き覚えのない人物の土地についての確認でした。全くなじみがないと思っていた、まさにその苗字が本に登場し、マーカーが引かれています。何年にもわたる壮大な物語の種明かしがされているような心持ちでした。

父がしるしをつけていた中に、不思議な物語がありました。

***

慶長八年(1603年)に石動山を離れた大蔵坊は、寺庵を建てて金刀比羅大神を祀り、修験道当山派・宝光院を称し、十五ヶ所の村の産土神を持宮としていた。
長男である宝光院二代目の秀船坊は、元和二年(1616年)に諸国修行を思い立ち、墨染めの衣に笠をかぶり、一つ歯の下駄を履いて、修行の途につく。
秀船坊が月日を重ねて、九州路に入ったころのことである。

雨がしとしと降る夜、山路へかかると、一匹の白狐が倒れている。
幾日も何も食っていないらしく、体はやせ衰え、息も絶え絶えになっている。
「貴僧、何か食うものはないか…」
秀船坊は白狐を助け、持っていた握り飯を食わせてやった。
白狐はお礼に、不思議な飯茶碗をくれたという。
「これは狐の飯貝というものじゃ。人が持てば、金持ちにもなれるし、神通力もたやすく使える」

秀船坊は諸国修行を終えて寺に帰り、狐の飯茶碗を大切に保管をして、平安に暮らしていた。
ところが間もなくして、秀船坊が眠っている枕もとに白狐が姿を現すようになった。
「神通力が使えんのはやはりこまる。飯貝を返してくれ」
天窓から毎晩のように忍び込んできては、寝ている秀船坊にしつこく声をかけてくる。
夜中に白狐がやってくる度に、体が縛られたように動けなくなり、
息は苦しく、玉のような油汗をかいた。返す返さないどころではない。
秀船坊は、いいかげんつき合い切れんと思い、昼間のうちに狐の好物を屋上に並べて、
天窓を締め切ってしまった。それ以来、白狐は来なくなったという。

三代目の鉄道坊のとき、夏の暑い晩が続いた。
話は知っていたが、いい加減もう大丈夫だろうと天窓を開いて風を通して眠っていると、
また夜中に白狐がやってくるようになった。
おそろしくなった鉄道坊は、天窓を釘付けにして、飯茶碗も床下深くに埋めてしまった。

その後、家屋は幾度か改築されたが、祖先の言い伝えによって、
家の中が暗いときも、暑いときも、絶対に天窓を開かない。
以来、何百年も白狐はたずねて来ていない。

***

大蔵坊は僕から見て、十二、三代ほど遡った先祖にあたるようです。現在の僕にしてみれば、本家筋とは何の関わりもありませんでしたし、想像すらしなかったことばかりでした。
それでも、こうして知る機会を与えられたことを嬉しく思います。知っているだけで、何か力を与えられているような心づよさを感じます。


私たちには、一人の例外もなく数百年前に生きていた先祖がいます。
数百年前に生きていた自分の守護霊はどんな人なのだろうと心を巡らせ、こちらから近づいていけば、きっと喜んでその存在や手がかりを知らせてくれるにちがいありません。
霊界で一緒に修行をしているたくさんの先祖がいると思い巡らせるだけでも、勇気がわいてきます。

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