裸の王子ちゃま(日々の内省より)

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今回はダスカロスの教えに基づいたお話です。

ダスカロスの本を読んだことのない人には
もしかすると「ハテナ?」な部分もあるかもしれませんが
基本概念の説明などは素っ飛ばして
山影の個人的なメモといった感覚で書いていきます。



ダスカロスは夜眠る前の「内省(自己分析)」が
効果的だと薦めています。

眠る前にエレメンタルが戻ってくるところを仕分けして
ネガティブなエレメンタルを
ポジティブなエレメンタルに置き換えたりするわけですが。

僕の生活リズムだと夜は時間の余裕がないので
日常生活の中で感情を「観察」し
変化を感じたらなるべくすぐに「分析」することで
内省の代わりとしています。

犯人が現場に戻ってくるところを捕まえるのが内省だとすれば
現行犯で捕まえて、その場で尋問する、みたいな感じです。
(内省は、実際には「視覚化」のエクササイズも兼ねていますけどね)



たとえば電車の中で。

「貧乏ゆすりのひどい人が気になる」(目障り)
「音もれしている音楽が耳につく」(耳障り)
→カチンとくる!(怒り)

という感情の変化があったとします。

そこで、
「なぜこんなことに、怒りを感じるのか?」
「なぜこんなことに、嫌悪感を感じるのか?」
と捕まえてみるわけです。

分析していくと、
「他人の行動を含めて、周囲の状況をコントロールしていたい」
という支配欲(エゴイズムの一形態)と
自分が同調していたことに気がつきます。

そして、時間があれば。
同じ状況で平然としている場面をイメージして
余裕のある心地よいフィーリングを感じます。
(思考由来エレメンタルに置き換え)



また、いろいろ飛躍しているように感じるかもしれませんが
さらにこんな感じで掘り下げてみたりします。

他人の行動をコントロールすることはできない。
こんなことで貴重なマインド素材を浪費しても仕方ない。
→自分がコントロールできるものは周りには何もない?
→半径3mではどう? 1mでは? 30cmでは? 1cmでは?
→肉体すら自分の持ち物ではない?
→支配しようとしなくても、好意で与えられる。恩恵。
肉体も、周囲のすべてがそう。神聖なる計画を信頼すればいいだけ。

だとすれば、途方もない無限ともいえる目まぐるしい愛の洪水。
目の当たりにして、圧倒されそう。
→好意と恩恵以外のものは存在しないのではないかという、実感のようなもの!
→好意と恩恵の世界だから、怒りも恐怖も不安も心配も、幻にすぎない。
人はプレゼントがあまりにも多すぎるばかりに、絶対存在の愛が偉大すぎるばかりに、
全体像が見えずに混乱しているだけなのかも知れない。

感謝して受け取り、利用させてもらうだけ。
なぜそれをさせてもらえているの?
→大天使たちがメイドのように三つの宮殿の世話をしてくれ、
御父様が何でも必要と思われるものを与えてくださる。
守護大天使は家庭教師のように僕を導いてくれている。
→何も持っていないし、何も知らないけど、きっと価値がある存在。
「裸の王子ちゃま」が僕なのかも知れない!


などと、遊んでみるわけです。


それでは、「裸の王子ちゃま」である僕は
何のために生きているのか?


私は何のために生きているのか?
ハリー・ランバート
ナチュラルスピリット




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