私は親よりも幸せになっていい!(日々の内省より)

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「私は親よりも幸せになっていい!」

心の中でつぶやいてみただけで
僕は罪悪感のような居心地の悪さを
胸に感じます。

「私は親よりも幸せになっていい!」

みなさんの中にも
似たような感じがしてしまう方は
いらっしゃるでしょうか?


いつも僕の母親は
「あんたが困らないように言ってるのよ」
「あんたのためなんだから」と
言葉は不器用であったにせよ
僕の幸せを一番に考えてくれていたはずです。

「僕が親よりも幸せになること」
なによりも「親の願いそのもの」であるはずなのに
どうして違和感を感じてしまうのでしょう?



人間は環境によって作られる生き物と言われます。
生まれた環境や、子ども時代をすごした環境で
人格の90パーセントが作られる
とも言われています。

環境に依存して生きるしかなかった
非力な子ども時代に
無意識のうちに刷り込まれた印象は
当たり前の「常識」であるかのように繰り返され
いつのまにか固定化してしまいます。

実際は90パーセントほどが
それぞれの生まれ育った環境によって作られた
「先入観」「思い込み」なのですが、
それが「常識」「共通認識」であると
錯覚しているケースもよくある話です。

そのため、「常識」の不一致から
夫婦関係や人間関係がうまくいかなくなることがあるのは
みなさんも経験上、おわかりになるでしょう。


人間は自分の「先入観」「思い込み」
そぐわない出来事に遭遇したとき、
肉体や感情に違和感を感じます。

つまり、僕の場合には
「『私は親よりも幸せになっていい!』
なんて、とんでもない!」

という「常識」がいつのまにか刷り込まれていたのです。



僕は「日々の内省」を通して、
自分のエゴイズムの特徴には
「周囲をコントロールしたがる」傾向がある
ということを知っていました。
(→過去記事:「裸の王子ちゃま(日々の内省より)」)

最近になって、その根源は
「コントロールしたがる母親」と過ごした幼少期の環境に
大部分があるのではないかと考えています。


僕の母親は、時代背景や地域の性質などの影響もあって
世間や周囲の人々を信頼できないまま
生まれ育ってきたようです。

そして、大人になってからも
その「常識」を証明するかのような
特殊な環境を作って、頑なに生き続けてきました。

世間や周囲の人々を
信頼できない不安定なものであると信じていると、
周囲のすべてをコントロールしていないと
安心できない傾向が強くなるようです。


母親はまるで自分自身の延長であるかのように
最も身近な存在であった僕のことを
扱っていました。

そのため、母親の気持ちの中では
「(私と)あんたのために」という思いが
区別できないままに
いつもあったのではないでしょうか。

子どもだった僕は
「(私と)あんたは(一緒に)幸せにならなければいけない」
というメッセージを知らず知らずのうちに
繰り返し受け取っていたのだと思います。

そして、物心がついた頃には
得体の知れない気持ち悪い感覚から逃れるように
反発ばかりをしていました。



恥ずかしながら僕は、最近になってようやく
親から受け継いだ思い込みを
自分自身の考えであるかのように信じていることが
あまりにも多いと気づきはじめました。

自分と親が別のパーソナリティであることは
頭ではとっくにわかっていたはずでした。

それでも、子どもの頃からの思い込みは根深いようで
「親よりも幸せになっていい!」というアイデアは
まだ僕にとって居心地の悪いものです。


僕は何が好きなのか。
どんなことが楽しいのか。
どんなことがしたいのか。
それは本当に僕自身なのか?

僕はようやく
自分自身の考えで、自分自身の気持ちで、自分自身の行動を選択しようと
ヨチヨチ歩きをはじめたのかもしれません。







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